ハワイの歴史 ハウナニ ケイ トラスク

ハワイの歴史
ハウナニ ケイ トラスク
植民地主義が欧米人を広大な海原に導いてからというもの、ふるさとの太平洋に住む私たちは、征服戦争というパワーゲームの中で、ポーン(一番価値の低い駒)の役割を果たしてきた。
西洋人が持ち込んださまざまな病気によって何百万もの人々が死んだ後、肉体と精神のバランスを失った先住民族は、混乱のうちにキリスト教へ改宗した。
大量死に続き、経済的・政治的には諸外国(イギリス、フランス、オランダ、合衆国)に飲み込まれてしまった。
第二次世界大戦以降、太平洋島嶼国に生き残った私たちは、核という悪夢の目撃者でもある。
現在、先祖伝来の地であるハワイと太平洋は、再編された新世界秩序の収束地点と見なされている。
太平洋に、豊かな国々がこぞって入り込んで来た結果、さまざまな問題が生じてきた。
たとえば、アメリカの軍事基地化が私たちの島々で極端に進み、太平洋地域の核配備も年々増大している。日本、台湾、韓国、合衆国その他の国々による海洋資源の収奪(この中には有毒物質の投機も含まれる)、大規模な観光産業による島嶼文化の商品化、日本や他のアジア諸国による経済進出と土地の買い占め、ふるさとの地に核が持ち込まれた結果、ディアスポラとしか名づけることができない先住民の強制移住。
超国家的な企業活動が無規制で行われている結果、環境や文化の破壊が甚大である。
先進工業国の狂気じみたナショナリズムの襲来によって、私たち先住民が着実に死の道を歩んでいくことは言うまでもない。
「先進工業国」が、異質なものとして、私たちの前に立ちはだかっている事実を指摘しておきたい。一方、私たち先住民のナショナリズムは、利己的な消費や殺人につながる非寛容から生まれたのでなく、ふるさとであるハワイと太平洋(ポリネシアもその一部であるため)への系譜上のつながりから生まれたものである。
私たちの系譜によると、パパハーナウモク(大地の母)がワーケア(天の父)と結ばれ、そこからハワイの島々・モクが誕生した。
愛すべき島々から私たちの直接の創始者・タロが生まれ、タロから私たちの首長はじめ人間が生まれた。
このように、私たちと宇宙の関係は家族的である。
この関係はポリネシアのどの地域でもそうであり、ハワイも例外ではない。年長者が年少者を養い世話しなくてはいけない。
それに対し年少者は、年長者を敬愛しなくてはいけない。私たち先住民族の創世に関わる知恵は、互いに敬い責任を取り合うということである。
土地や水を大事に使えば、私たちに恵みが与えられる。ハワイ語で、この関係はマーラマ・アーイナ(大地を慈しめ)と呼ばれて、大事にすることによって大地は家族全員を養ってくれる。
こうした知恵は先住ハワイ民族固有のものではなく、世界中の先住民族がほぼ共通して持っているものである。
先住民族の知恵の言葉は、今日の驚愕すべき時勢の中で周知のものになってきているが、旧世界のナショナリズムとは異なった響きを持っている。
私たちが主張する民族の独自性や文化の固有性を、「部族主義」と誤ってとらえるべきではない。私たちは母なる大地の管理者であり、いかに大地の生命を守り保障すべきかについて、へその緒を通じて古代から
伝わる知恵を提供できる者である。
私たちの文化が持つこの教えは、地球の生き残りについて考えるとき、最も重要なものであることがわかってきている。西洋の表現を借りるならば、「生物の多様性は人間の多様性を通して保障される」のだ。
この地に何千年ものあいだ住み続けてきた私たち以上に、ふるさとハワイを慈しむことのできる者はいない。
地球の裏側の砂漠地帯を最もよく理解できるのは、そこに住む人々である。
地球上の驚くべきほど多種多様な場所どこをとっても、然りである。森に住む人は森を、山に住む人は山を、平原に住む人は平原を誰よりも熟知している。
こうした基本的な知恵がなくなりかけているのは、ひとえに工業化と、野放しされた貪欲さの結果であり、野性的・感覚的なものに対する憎悪ゆえである。
これが私たちの遺産であるとするなら、新しい世界秩序に対抗するものは、画一的・同化的なものではなく、先住民族にとっての自治がもっと認められるようなものでなくてはならない。
その秩序の下では、住民自らが資源や文化をコントロールし、維持していけるからである。まさに、人間の多様性が生物の多様性を保障するのだ。
現代史は、強者による弱者の同化が限りなく進む歴史であり、虐殺や生態系の破壊が絶えず引き起こされる歴史でもある。私たちが似通ってくればくるほど、周りの環境も似通ってくる。
現代的な(「工業の進んだ」と言い替えられる)生活を強いられる「後れた」人々は、もはや自らの環境を慈しむ余裕がない。
先住民族が変身(あるいは絶滅)を余儀なくされるならば、その環境も加速度的に悪化し、永久に破壊される部分も出てくる。物理的な略奪は文化の凌辱に反映される。
人間が死んでいけば、後を追うようにして土地も死ぬ。一例として、先住民族言語が「普遍的な」(「植民地主義的」と言い替えてもよい)言語に乗っ取られてしまうと、「死語」ができる。しかし、「死んだふり」、「失われたり」するのは言語ではなく、その言語をかつては話し、母語として次の世代に伝えてきた民族の方である。
言葉と、言葉によって指し示されるものの間の関係も失われてしまう。ハワイでは、英語が支配的な言語であるが、私たちの島々の美しさを描写する段になると、ハワイ語のもつ比類ないほどの厳密さには到底追いつけない。
どのようにして私たちの祖先が動物たちのことを家族同然に 熟知できるようになったか、どのようにして大洋のリズムを統御し巨大な養魚池を作りえたか、どのようにして南極から遠洋魚の回遊やムナグロ(チドリ)の渡りを知るようになったか、またどのようにして星以外の道標もなく赤道をまたいで航海できたかということについても、英語で正確に描写することはできない。
英語は、ハワイにとって余所者の言語である。私たちが生まれたふるさと、祖先の創り出した知恵が「失われてしまった」ふるさとについて、英語は何一つ明らかにすることができない。
ある土地に隠されている秘密は、そこに住む人々の死と共に封印される。これは現代人に
とって苦々しい教訓だ。異なった人間集団を無理やり同じようにしようとすれば、言語も環境も民族も死滅してしまう。
大地は、そこに住む人々を抜きに存在できないし、その人々は、母なる大地という遺産を
慈しむことなしに生きることはできない。
これは先住民の文化に根ざした知恵であり、先住民族が滅びると共に、大地の破壊が急速に進むのはこのためである。ハワイでは先住民
が立ち退きにあい、多くの人々が死んだ結果、大地は急速に、取り返しのつかない大変
化を余儀なくされた。アメリカの支配下で、ハワイはかつての華奢な美しさを失い、けばけばしい虚飾の島に成り下がってしまった。
19世紀のプランテーション経済が衰え、近代の観光・軍事経済が台頭するにつれ、私たちの土地は次第に開発され、水も汚染され、すっかり破壊されてしまった。
21世紀を目前にして、ハオレ(白人)のアメリカ文化を代表する、双子のエンジンとも呼ぶべき軍需産業と観光産業が、強欲を募らせ、私たちの物質的・文化的遺産をほしいままに押し潰している。
(中略)
しかし、私たち先住民だけで、入念に練り上げられた、新しい世界秩序に立ち向かうこと
ができるであろうか。
恐らく無理であろう。世界の現状を見れば、希望薄であることがわかる。先住民の抵抗は粉砕可能であり、今までも粉砕されてきた。先住民国家が消滅すれば、私たち先住民の被った害は、取り返しのつかないものになる。
先住民人口を保持することができなくなるだけでなく、多様な文化を失い、大地の管理という役目も放棄せざるをえない。
私たち先住民の絶滅を図ろうとしているにもかかわらず、第一世界の国々およびその地位を切望している国々は、私たちが姿を消すことを嘆き悲しむふりをしている。
私たちは、称えられることのなくなった世界に住む英雄でもなければ、縮小された模型でもない。
選ぶべき道ははっきりしている。先住民として私たちは、パパハーナウモク(母なる大地)のために、闘わなくてはならない。女神が----そして私たちが----消え去ろうとしている
今も。
「大地にしがみつけ ハワイ先住民女性の訴え」
ハウナニ=ケイ・トラスク著 
松原好次訳 春風社 より
https://www.amazon.co.jp/dp/4921146500/ref=cm_sw_r_cp_awdb_c_KI9wDbDXR3GDR
Lāhui Japan は EAducation (ハワイ語のEA主権とEducationを合わせた マウナケアのムーブメントから生まれた言葉)を通し 教育による 人々の目覚めと変容をサポートします。私達が何者かを知る事 私達のライフパーパスを認識し 責任を持ってそれを生きるには 私達がどこから来て どこへ向かうのかを知る必要があります。
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